地域ニュース

2020年8月25日公開

千三地区福祉委員会が行っている「いきいき百歳体操」について、福祉委員長の畑氏に寄稿して頂きました。

(公民館企画運営委員会)

「いきいき百歳体操」を行っています

寄稿:千三地区福祉委員会 委員長 畑 吉一

畑委員長(右端)と福祉委員会のスタッフ

この体操は、高齢者が健康でいきいきと生活を送れるように支援することを目指して、高知県高知市で開発されました。
当地区でも、高齢者の体力維持や顔を合わせて健康を確認しあうことなどを目的に、取り入れました。
いすに腰をかけたまま①準備体操、②筋肉運動、③整理体操の3つの運動を行います。ゆっくりと体を動かすので、関節に負担をかけずに安全に行える体操です。

千三地区公民館では毎週土曜日の14時30分から、千里山会館では毎週木曜日の10時から、いずれも約1時間行っています。
詳細は、千三地区福祉委員会委員長の畑までお問い合わせください。(電話06-6380-1249)



2020年7月31日公開

「千三こども将棋教室」が活動再開

 7月4日の土曜日、「千三こども将棋教室」が、約4ヶ月ぶりに再開されました。
これまでは公民館1階の小会議室で行っていたのですが、新型コロナウィルスの影響で各部屋の人数の制限があるため、今回は2階の大会議室で行われました。
 入室時の検温と手の消毒、対局するそれぞれの机の間をできるだけ離すこと、対局する子ども達の間には講師の川﨑先生の方でご用意していただいた飛沫感染防止のためのパーテーションを設置するなど、できる限りの新型コロナウィルス対策を行って久しぶりの教室再開に備えました。
 久し振りに公民館を訪れた子どもたちは、いつも使い慣れている1階の部屋ではなく2階の部屋になったこと、入室時の検温・手の消毒、そしていつもは見守ってくれている親御さんが一緒に部屋に入れないことなどから、入室する際は少し戸惑った様子でした。
最初に、指導されている川﨑先生から「しばらく将棋から離れていると感覚が元に戻るのに3ヶ月くらいかかるので、まずはゆっくりやっていこう」とのお話がありました。
今回は、上記のような様々な新型コロナウィルス対策を行ったため子ども達が将棋を指すのに様々な不便や負担をかける事になってしまう事など心配しましたが、なにより子ども達が久しぶりに仲間と集まって楽しそうに将棋を指している姿が印象的でした。
 以下、講師の川﨑先生からのコメントです。

(取材担当企画運営委員:
富川正規)

日本将棋連盟 指導棋士五段
千三子ども将棋教室 指導者
 川崎 大地氏

 平成9年の開講から続けている将棋教室も今回のコロナ禍の影響を大きく受け、今年の2月第5週から休講することになった。当初は、4月中旬の再開を予定していたが、GW明け~6月末と再開のめどが立たなかった。
 本日ようやく、4か月の休講を経て再開することができた。再開に至るまでのネックになった事柄はやはり、本来は将棋のうりともいえる、「対面」である。
 将棋は他の文化活動の中でも対面の割合が極端に高く、又こども達の指導においては、考える力を養う点のみならず対局相手を慮る姿勢がコミュニケーション力の成長や、人間力の成長の根幹であると思う。そういった意味でやはり対面することが重要である。
6月に入り、東京在住のOBにコロナ対策として、将棋盤用のパーテーションを作成してもらった。再開当日は、千三公民館の役員方々のお力添えを頂き(体温計や消毒液の準備など細かい点に至るまで配慮していただきました。)おかげさまで、子達も以前と変わらぬ姿勢で集中し盤に向かうことができた(私の下手な文章よりも写真を見てもらえば一目諒前である)
 以前とは違い、当面の間は、父母様方の見学は原則不可とした。元々親御さんが見守る事が子供たちの自己肯定感につながっていただけに、三密を避けるためとはいえ、その点は残念ではある。
しかしながら、周囲の大人たちが、考え取り組んでいる姿勢をこども達が見たことが本日の一番の収穫であると考える。
コロナのニュースは毎日報道され続けているが、地道な文化活動が多くの方々に支えられていることに感謝いたします。



2020年7月18日公開

千里山の氏神さん(守り神)として親しまれている千里山神社、通称「お稲荷さん」について、普段から手入れをしておられる千三地区連合自治会長の藤木祐輔さんに詳しく紹介していただきました。
千里山のパワースポット️「千里山神社」に一度足を運んでみてください。

(取材担当企画運営委員:
山﨑洋子)

市民の憩いの場 花の社「千里山神社」

千三地区地域活動協議会理事長
千三地区連合自治会 会長
 藤木 祐輔 氏

平安、鎌倉時代の昔より、貴族が詠んだ和歌に「寝山」と云う地名があり、これが千里山の旧名と称されています。近世大阪市郊外北部の地(当時は桃、みかんなどの果樹園や竹藪、松林、畑地が点在する丘陵)にイギリスの田園都市レッチワースをモデルにした、日本では東京の田園調布と並んで最初の大都市周辺の住宅建設の槌音がこだましたのは、大正9年(1920年)丁度100年前のことでした。大正13年には早くも約100世帯の入居があり、小規模ながら新しい街が誕生しました。
この開発ディベロッパは北大阪電鉄(後に新京阪鉄道株式会社、現在の阪急電鉄株式会社)で、今でいう京阪電車です。当時の風習や社会的状況からして、新しい集落ができれば村や町のシンボルとして鎮守の森や神社を創建するのが通例でした。大正15年に京阪沿線の伏見稲荷から「倉稲魂神 ― うかのみたまのかみ」を勧請され併せて旧来から祀られていた「竜王さま」と併せて祭神とされました。これが千里山神社のルーツにあたります。
その後、昭和3年に第一次開発計画が完了し、住宅戸数は400戸に達しています。街の発展とともにそれに相応する氏神様をと住民要望から、もともとこの地(佐井寺)の氏神である「伊射奈岐命 ― いざなぎのみこと」を合祀することになり、現在に至っております。この神社は宗教や信仰からの発祥ではなく、市民憩いの場で誰もがリラックスできて息抜きし楽しめる場所です。境内に多くの花木があります。「梅、桜、椿、雪柳、くちなし、さつき、つつじ、あじさい、水仙、紫蘭等々年中華やかです。
ぜひ一度ご来場ください。お待ちしております。

つれて行 寝山もしらぬ白鳥の さきのよも うき身の契り哉
            藤原行家  夫木集(ふぼくしゅう)より